ハムすけは、どちらかというと天才タイプというよりは努力家タイプだと思う。
勘のよいわけではないし、要領がよいわけでもない、と思う。今のところ。

ところで、私は幼少から、とても勘のよい、器用な子どもだったのだそうだ(母談)。たしかに、エレクトーンを習っていたとき、先生が難しいアレンジをして弾いた部分を、さっとそのまま再現できたし(みんなから、「おお!すごい!」と賞賛の嵐)、何でもたいてい人よりも早く、人よりもうまくできることが多かった。あまり努力しなくても、一定レベル以上のことができてしまうので、努力するということからスポイルされてしまったのだ。「いいものを持ってるんだから、もっと努力できたら、ものすごいレベルにいけるのに」といわれ続けてきた私は、結局、大人になってみると、いわゆる器用貧乏である。

私は勘のよいタイプなため、1を聞くと10が分かるところがある。だから、実は人にものを教えるのがうまくない。「ちゃんと説明してるのに、なんで、わかんないわけ?」って感じ。
夫にも、「YUKOは、1を聞いて10を理解できるけど、人に2から9の部分を説明できないだろ?自分は勘で理解してしまうから、理論だてて説明できないんだ。でも、理論が分かっていないと、応用がきかないだろ?」といわれる始末。
そうなんです。
こつこつ努力するのも苦手だし、勘ですべてを乗り切ってきたので、たしかに応用はきかないかも・・・。なんか最悪じゃん!
ハムすけは、今のところ、私のほうの血はひいてなさそう。だからその愚鈍さにいらいらさせられることもあるけれど、見込みあるかも?!

がんばれ、ハムすけ。いろいろなことが上手にできなくてもいいから、ひとつでいいから、人に負けない情熱と努力を費やすことのできる、格好いい大人になってね。

ハムすけは、信号機を見て「あお!(青)」「あわ!(赤)」というのがはやっている。
しかし、どうも青と赤を逆に覚えているようすで、正しく言えたためしがない。
そこで私は、せっかく色の名前に興味を持ち始めたのであれば、せめて青と赤くらいは正しく覚えてほしいと思い、ハムすけが間違うたびに、「ううん。あれは青だよ」などと訂正するようになった。
しかし、何度言ってもハムすけは分かってくれないので、口調がついキツくなってしまう。「どうしてよ!あれは、赤でしょうが!!」てな感じである。
私からすれば、「もう、100回くらい教えてるんだけど!!」という気分。なぜ、赤と青くらい覚えられないのだ???別に緑とか黄色とか、欲張っていろいろな色を教えているわけではないのだ。たった二色なのだ。
ハムすけは、頭が悪いのかもしれないと心配になり、夫に話をした。

すると、かえってきた返事は「ハムすけは、ちゃんと色が見えてるんかなあ。ハムすけが、もし色覚異常だったら、怒ったらかわいそうだろう?」というもの。
まったく考えもしなかったことなので、意表をつかれた。
むむむ。親戚などに色覚異常の人はいない、ということだが、そういう可能性もないことはない。検査したほうがいいのだろうか?
友達に「ハムすけが、赤と青をぜんぜん覚えられないんだよ」と話すと、「2歳のリトミックのクラスの子たちも、ぜんぜん分かってないよ。みんなたとえば、青色取ってっていっても、ばらばらの色をとってるよ。まだハムすけくんは覚えられなくて普通なんだよ」といわれ、ちょっぴり安心。そっか・・・。

ハムすけは、信号を見ると、どうしても「青」とか「赤」とか言いたくなるみたいなのだが、最近私に怒られるので、「あお!あわ!」と二色同時に言うようになってしまった。ますますややこしい。
最近気づいたのだが、ハムすけは、たまに、私と逆方向の信号機を見ていることがある。私が真正面の「青」の信号機を見ている時、逆方面は「赤」である。
ひょっとすると、ハムすけは正しく言っているのかもしれない。
なんだかもう、ハムすけの思考についていけないので、困惑する毎日。

キッチンとダイニングの間の、ベビー用のゲートをとりはらった。
ハムすけが、押し車に乗ったままキッチンに侵入しようとした結果、ゲートが外れてしまい、もう一度取り付けるのが面倒になって、とってしまったのだ。

ハムすけは、キッチンにいりびたっている。
戸棚を開け、みりんやら料理用酒やらサラダ油やら缶詰やらを床に並べる。綺麗に洗ってなおしていたタッパー類を出してきて、べろべろとなめる。鍋をあちこちに持ち運ぶ。引き出しを開けてトングや木べらを両手に持って歩くなど、本当に邪魔&汚いハムすけである。
もう一度立ち入り禁止にするのは簡単だが、ハムすけがひとしきり飽きるまでキッチンの中を探索させないと、きっと根本的な解決にはならないのだろうなあ・・・とあきらめモード。ごちゃごちゃと床にモノが転がる狭いキッチンで、毎回料理をしている。

お正月休みは実家に帰省するが、きっとハムすけは、それぞれの家で、同じことをすると思う。
おじいちゃん、(特に)おばあちゃん。ハムすけがキッチンなどを荒らして、きっとご迷惑をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いします!!
大事なもの、危険なものは、ハムすけの目と手の届かない場所になおしておいてください(久しぶりなので、ハムすけは背が伸びました。きっと想像しているよりも高い場所に手が届きます)。

ハムすけが風邪気味だと、ハムすけは元気だけれどお友達とは遊べないし(風邪をうつしてしまったら悪い)、かといって家にいると暇である。

そこで、ハムすけと二人、寒空の下を散歩にでることになる。
最近のお気に入り散歩コースは、近所のバス停からバスに乗って駅まで行き、駅の近くの本屋さんをひやかして、その後ボーネルンドで遊ぶというもの。帰りは、ハムすけの様子を見てバスに乗るか、そのまま歩いて(体力が有り余っているときは、途中の公園で遊んでから)帰る。
逆に、ハムすけまかせで散歩しているうちに、駅まで来てしまったので、帰りはバスに乗ることもある。
家から駅まで、大人の足でも30分弱かかるので、けっこうな距離の散歩である。
とはいっても、ハムすけはすぐに「かっこ(抱っこ)」というので、散歩しているのは実質私・・・。
最近お昼寝をしてくれないので、ハムすけをできるだけ疲れさせようと、外に連れ出しているのに、これでは効果ゼロである。

さて今日も、バスで駅まで行き、本屋さんで電車の音の出る絵本(ハムすけ、超お気に入り!店頭にみほんが出ている)でえんえん遊んだ後、ボーネルンドに移動した。
ボーネルンドは、世界中からよりすぐった遊び道具を販売しているお店だが、その商品を一部店内で試すことができる。ゆえに、店内は子ども連れの親子でにぎわっている。
たいてい一つのおもちゃに、複数の子どもたちが群がっているので、おもちゃをとりあったり、横入りしたりするのは日常茶飯事。しかし、子どものおかげで、知らない人とコミュニケーションをとらなくてはいけない親たちは、「(もめごとがあっても、子どもが泣いても)お互い様ですから」という大人のスタンスでいるので、店内は和やかな雰囲気である。

ここでは、ハムすけはお気に入りのおもちゃがいくつかあり、入り口から近い順にこなしていく。
まず最初に行くのは「キッチンセンター」。ここでおままごとをひとしきりする。その後、「ボーネ・エクスプレス(木の電車のおもちゃ)」で、磁石で連結した電車を、レールの上に走らせて遊ぶ。次は椅子の上に立って「クアドリラ(ビー玉を転がすおもちゃ)」にとりかかり、最後は「ME TOO」という神経衰弱みたいなボードゲームの蓋をとりにいく。たまにルーピングでも、ちょこっと遊ぶ。

今日もハムすけはその順番で遊んでいたので、私は他のおもちゃをぶらぶらと見て回っていた。
ハムすけの姿が見えないなと思って探すと、「ME TOO」の置いてある場所にいる。
そこには、もう一つ「磁石で魚つりもできるパズル(商品名が分からない)」があって、それで一組の親子(母親と男の子)が遊んでいた。
その親子は、魚のパーツを「ME TOO」の上に置いていたのだが、ハムすけはかまわず「ME Too」の蓋を開けていく。
私が、いちおう「すみません」と声をかけると、その母親は無視して「Sちゃん、続けなさい」だと!
ものすごぉく感じが悪い。
こんな感じの悪い人にボーネルンドで会ったのは、初めてである。

私は、ハムすけをさっさと抱き上げて、その性悪女から離れたが、気分はおさまらない。
エレベーターに乗って、ハムすけと二人っきりだったので、大声で「感じわる~!ねぇ、ハムすけ」とうっぷんを晴らした。そして帰宅した夫にも訴えて、ようやくちょっとすっきりした。

ああいう母親に育てられた子どもって、どんな人間になるんだろう。
でも、どこにもああいう人はいるんだろうな、と思った。
できるだけ、そういう人には関わらないようにして生きていこう。

月九のドラマ「のだめカンタービレ」を、毎回楽しみにしている。
世の中的にもずいぶん話題になっている作品なので、ご存知の方も多いだろう。
どのくらい私がこのドラマが好きかというと、HDDに録画したものを「消去」できないくらい好き。

そしてついに、「のだめカンタービレセレクション CDブック」なるものまで購入してしまった。
これは、名場面に流れた名作10曲を収録したもので、それぞれの曲の解説を読みながら、のだめの世界も、クラシックの奥深い世界も楽しめる。ハムすけが寝てからの、くつろぎタイムである。

そもそも、「のだめ・・・」がテレビドラマ化される前から、どうもクラシックが気になっていた(モーツァルトの生誕250年で、クラシックを取り上げるメディアが多かったからだと思うけれど)。とはいえ、クラシックCDのサンプルとか(昔CD屋さんでバイトしていたときにもらった)、昔に流行った「アダージョ カラヤン」くらいしか、クラシック音楽のCDを持っていない。
ついでに、「モーツァルトCDこの一枚~名曲いいとこどり」と、「クラシックCDこの一枚~101曲いいとこどり」も購入してみた。どちらも、いわゆる名曲のサビ部分(?)ばかりが入っているCDである(この曲が、どんなCMや映画に使われたかなんてことまで書かれている)。
たいくつな部分はなく、知っている旋律の曲が多いので、こちらも聞いていて心地よい。
こういうのは、たぶん、クラシックファンからみれば邪道なんだろうけれど、音楽は楽しむもの!というのが私の持論。
ジャズも大好きだけれど、クラシックを聞いていると、音の調和、それぞれの楽器のアコースティックな温かさ、秩序だった曲の構成、旋律の美しさなどが、すーっと心の中に染み込んできて、本当に気持ちがいい。

「のだめ・・・」の原作まんがは読んだことがないのだが、これを持っている友達から借りる約束も取り付けた。ドラマは年内で終わるけれど、私の「のだめ・・・」熱は、これから!って感じ。

毎年のことだが、年賀状を出す相手を決めるのは、私にとっては、結婚式に誰を呼ぶかと同じくらい、難しい問題である。
例年、年賀状を出し、かつくれる人。私が遠方でなかなか会えなくても、大切だと思っている友達。親戚。
ここまでは、悩まない。
でも、近くにいてすごく仲の良い友達(この人たちとは、きっと年があけたらすぐに会う)、「友達」というより「知り合い」に近いママ友(子どもの名前は知ってる。だけど、その人の下の名前とか、遊びに行ったことはあるんだけど、住所は知らない)、去年年賀状をくれたけれど、自分は出さなかった人(もちろん返礼はがきは出した)。こういうのは、とても悩む。

年賀状を買うために、枚数をはじき出さなければいけないので、あまりたらたら悩む時間もない。
毎年、えいや、で決めるのだが、年が明けて「あちゃー!この人に出してないよ」とか、その逆もあったりして、毎年うまくいったためしがない。
喪中はがきをくれた人に、つい年賀状を書いてしまって、ポストに投函する前に、あわててはねることもある(どきどきする)。

年賀状を出す相手のことを考えていて思ったのだが、私って友達が少ない。
他人からは、社交的で、友達が多いと思われがちだけれど、「知り合い」が多いだけで、「友達」と思えるのは数人だ。
ハムすけが生まれてから、いわゆる「ママ友」とたくさん知り合ったが、いくら子どもの月齢が近いからといって、誰とでも「友達」にはなれない。
この年齢になったら、友達は自分で選びたいもの。そう考えると、私が友達と思っているのは、ほんの数人である。
普段はなかなか会えないけれど、大切な「心の友」を入れても10人くらいか(いや、もうちょっといるか)。

その少ない友達の一人と、「私って友達が少ない」という話をしていたら、「分かる!私も自分のお葬式に、誰が来てくれるんだろう?って心配になることあるもん」と言っていたので、嬉しかった。
「ばーっと人に心を開いて付き合ってるみたいに見えるけど、実はなかなか心の中に他人を入れないタイプでしょ?私もそうだよ」「そうそう。苦手なタイプはあまりいないけどね~」というような話をする。
分かり合えてるって感じで、この人はやっぱり私の友達だと確認した出来事。

まあ、それはいいとして、今年の年賀状は全て書き終え、ポストに投函した。
ほんと、毎年のことなのに、疲れる。
でも、自分宛の年賀状が来ないと、ちょっと寂しいから、これからも年賀状を続けるんだろうな。

いつも買い物に行くカルフールの専門店街に、ペットショップができた。
これだけ愛玩犬にあふれた街なので、いままでペット専門店がなかったほうがおかしいのだ。

店内には、大きなガラスケースがあり、ふわふわのぬいぐるみのような犬や猫たちが、うろうろしたり、眠ったりしている。他にはミニ豚(!)やロップイヤー(うさぎ)、ハムスターや鳥などの小動物もいる。ペット用のお菓子やケーキ、お洋服などで、店内はとてもファッショナブルな感じ。

ハムすけは犬が大好きで、街で犬に出会うと「わんわん」と言いながら近づいていき、犬の意向を無視して触ろうとする(こっちがどきどきする)。
ペットショップに連れていってあげたら、大喜びするだろうなあと思い、うきうきしてハムすけを連れて行った。
店内に入ると、予想どおり、にこにことガラスケースに近づくハムすけ。
私:「かわいいねえ」
ハムすけ:「おー、おー!(子犬を指差す)」
私:「ちっちゃいねえ」
ハムすけ:「ちちゃぱー。まんばっちぃ(意味不明。最近よく言う)」と、ひとしきりハムすけと盛り上がる。
しかし、夫を見ると、うかぬ顔をしている。
そういえば、「今からペットショップにハムすけを連れていこうよ」と誘ったときも、嫌そうだった。

「どうしたの?」と夫に尋ねると、「おれは、ペットショップは苦手なんだ」という。「こいつら、売れ残ったら殺されるんだぜ」。
・・・むむむ。
私はただ、ハムすけに、絵本やテレビだけでなく、本物の犬や猫などの動物を見せてあげたいという思いだけで、そういうことは考えてなかった・・・。
まだハムすけにそこまで教える必要はないだろうとも思う。
でも。しかし。その夫の一言で、ただ単に「かわいいね」で済ます自分が少し恥ずかしくなったのだった。

とはいうものの、買い物ついでに、毎回ペットショップに寄る私とハムすけ。
今は、ハムすけが、自分以外の生き物をかわいいなあと思える気持ちを培ってくれたら、それでいいかなと思っている。

新しく知り合った人から、「YUKOさんって、中間子でしょう?」と言われることがある。
今日も言われた。

私は二人姉妹の長女である。

今日、私を中間子だと言った人に、「どうして、中間子って思ったの?中間子ってどんなイメージ?」と聞くと、「状況や相手をじっくり観察していて、出すぎず、かといってひっこんでるばっかりじゃなくて、いいタイミングで話に加わるところとか、要領のいいところとか」と明確な答えが返ってきた。
その人は看護婦さんで、人の名前と顔を一致させて覚えるのが上手な人である。これまでにたくさんの人と会っているので、直感的にそういうことが分かるんだそうだ(今回は外れてるけど)。

たしかに、私は要領はいいほうだと思うが、これは長女とか中間子とか末っ子とかいうよりは、持って生まれたもののような気がする・・・が、よく分からない。

とにかく長女っぽくないということは、昔から友人たちに指摘されてきた。「男兄弟いるでしょ?」とかよく言われたなあ・・・。「男兄弟のいる女」というのがどんなイメージなのか、ちゃんと追及しておけばよかった。
(他人が知っている自分)を知るよすがになるはず。

ハムすけが、計量カップではかったお米を、床にぶちまけた。
本人としては、私が扱っているお米が気になって、触ってみたかったのだろうが、キッチンの床に広がる一合分のお米を見て、絶望的な気分になる。お米だから、掃除機ですいとるわけにはいかない。
「もう!あっち行って!」とハムすけを雑に抱き上げ、セーフティガードの向こうへ乱暴に降ろし、床にはいつくばってお米を拾い集めた。もう腹がたって仕方がない。
わんわん泣いて「かっこぉ!かっこぉ(抱っこ)」と訴えているハムすけに、「このお米どうしてくれるの?さわっちゃダメっていったでしょ!ばっちいでしょ!拾うの大変でしょ!ほんとにバカだね!!」などと罵詈雑言を浴びせた。

いつもだったら、「も~!困ったちゃん」くらいで済ませられたのに、今日は、私は体力的に疲れていた。しかもハムすけは、おむつを替えたとたんにうんちをしたし(ハムすけは悪くないが、腹がたつ)、お友達と出かけたときに、ハムすけがたらたらと寄り道ばかりして全然前に進まなかった(これもハムすけは悪くない。しかし、お友達と出かけると、待ってもらったり、迷惑をかけたりするのが心苦しくて、いつも「早く!」とか言って腹をたててしまう)。そういうハムすけに対するイライラが、このお米ぶちまけ事件でいっきに頂点に達してしまったわけ。

涙でぐしゃぐしゃになったハムすけの顔をにらんで、「ごめんなさい、は?」と怖い声で言うと、ハムすけは、一生懸命ぺこぺこと頭を下げた。
ものすごく怒られている、ということを感じているようである。
その健気な姿を見ると、私の怒りは急におさまって、ハムすけをぎゅぎゅっと抱きしめた。
「もういいよ。すごく怒ってごめん。怒らないようにしようと思ってるんだけど、すぐ怒ってしまうね。ごめんね」などとハムすけに謝った。
これで、いちおう仲直りである。

しかし、その夜、ハムすけは夜泣きのようなことをした。
いくらあやしても、抱っこしてトントンしても泣き止まない。
たまに「かっこ。まま。あっち」の単語を口にするが、また悲しくなってしまったかのように、激しく泣き続ける。

暗い部屋の中で、ハムすけを抱っこしながら、私は反省した。ものすごく反省した。
この夜泣きは、きっと、日中に私がひどく怒ったことが原因じゃないかなと思う。
ハムすけは、面白そうと思ってやってみただけなのに、想像していたよりもひどく私に怒られて、とてもショックだったんだと思う。ハムすけの小さな柔らかな心は、驚きと悲しみでいっぱいになってしまったのだろう。いくら私がハムすけを抱きしめても、にっこり笑っても、ハムすけの気持ちは開放されなかったんだと思う。
勝手に想像しているだけで、実は全然違う理由なのかもしれないけれど、私はそう思った。
だから、「ごめんね」と心の中でたくさん謝りながら、ハムすけのずっしりと重い体を抱き続けた。
やがて、ハムすけは泣き止み、眠りについた。

いくらブチッときたからといって、必要以上に、ハムすけに怒りをぶつけるのは、もうやめよう。
ハムすけがかわいそうだし、結局は自分にかえってくる。ううう。腰が痛いぜ。

ひょんなことからチケットをいただき、友人とTDSに行ってきた。

この間TDSに行ったときと較べると、ものすごく楽しめた。その理由は、長居しなかったというのもあるけれど、ひとえに「ハムすけが成長したから」だと思う。
まず、ハムすけは、自分でかなりの距離を歩けるようになった。ハムすけにとっては、幅のひろい階段もアトラクションとして楽しめる(もちろん、一人ではまだ不安だが)。
そしてなにより、ディズニーのキャラクターを見て、喜ぶようになった。園内を流れる音楽やショーに合わせて踊ったりもする。
この間来たときには、大きな音とキャラクターにびっくりして、ほとんどずっと機嫌が悪かったのだから、ずいぶん大きな変化である。

今日は、「スカットルのスクーター」と「キャラバンカルーセル」に乗った。どちらも、回転系のアトラクションだが、ハムすけは始終にこにこし、「あはは!」と声にだして笑っていた。とてもリラックスし、楽しんでいた。キャラバンカルーセルでは、ジーニーに二人乗りしたのだが、曲が止まって「もう終わりだよ」というと、悲しんで嫌がっていたほどである。
他に、ハムすけの大好きな「ディズニーシー・エレクトリックレールウェイ」(電車)と、「ビッグシティ・ビーグル」(車)に乗り、ハムすけは大満足。沿道の見知らぬ人やキャストに手をふったりして、皇族気分(?)を満喫していた。
ショーは、「ミート&スマイル」と、ディズニーの仲間たちがご挨拶をしてくれるショー(名前が分からない)を見る。ハムすけは、前述したようにノリノリであった。

私はというと、「タワー・オブ・テラー」を見れてよかった(本当は乗りたかった!)。前回来たときは、ちょうど工事中だったので。
それから、シュタイフ社とのコラボによる「ダッフィー」という熊のキャラクターを、初めて見た。ちょうど「ビッグシティ・ビーグル」に乗って移動中、サンタクロースとダッフィーのフォトロケーションの前を通り、終点が「アーント・ペグズ・ヴィレッジストア」(ダッフィーの店)だったので、お店の中を見ることもできた。
ただ、今日はハムすけと同じくらいの月齢の子どもを連れたお友達と一緒に行ったので、それぞれの子どものペースがあわず、一緒にいたくても、ばらばらにはぐれてしまいがち。しかもベビーカー&着替えなど荷物一式&だっこは、やはり大変であった。もう一人大人がいると楽なのになあと思う。
とっても楽しかったけれど、私はクタクタ・・・。

ハムすけは乗り物好きなので、TDSに行くまでもとてもエンジョイしていた。
家からバスに乗ってJRの駅まで行き、そこからJRに乗って舞浜に行き、その先はモノレールにも乗るのだから、それは満足であろう。
とにかく、今日のハムすけはとても嬉しそうであった。ハムすけが楽しんでいると、私も楽しいし、嬉しい。

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